日本CSRの原点、商人市井学者 石田梅岩 の教え
300年以上も昔、元禄時代はバブルの時代でした。1704年、バブルが崩壊して多くの企業が破産したとき、生き残った企業の意識改革がなされ、その中心となったのが日本のCSR(Corporate Social Responsibilityの略で、企業が社会や環境、従業員、投資家、地域社会などの利害関係者に対して責任ある行動をとることを求める考え方)の原点とも称される、商人市井学者の石田梅岩でした。
「投機的な事業を戒め、本業を中心にして人々のお役に立つ」という企業にとって不変の理念・信念を大切にしながらも、業態は柔軟に変化・進化することが必要との教えは、多くの企業の家訓となり、例えば三井340年、住友350年の歴史の礎ともなっています。
現在の言葉に置き換えれば「思い付きの事業は行わず、コアビジネスを中心に事業を展開し、カスタマーオリエンテッド(企業の経営活動において、顧客のニーズに応え、顧客の満足度や利便性を向上させることで、自社の利益につなげようとする考え方)に徹する」というまさに今、私たちの行動指針となるべき教えです。
「信用」「徳」「志」の積み重ねが「暖簾」となり、企業を支える
企業にとり大切なものは「信用」「徳」「志」であり、この積み重ねが「暖簾(のれん)」として企業を支え続けます。
現在はデータ社会ですが、「データ」は整理して初めて「情報」となります。さらに「情報」は解析されて「知識」となりますが、「知識」というものは時代と共にどんどん変化し陳腐化します。「知識」には寿命があるので、これを抽象化し「知恵」として蓄積されなければなりません。
これを日本の企業は「暖簾」と呼んで永く大切にしてきました。「暖簾」とは綜合された「知恵」の集積であって、決して寿命の短い「知識」「技術」「技能」の集積ではないのです。日本の企業はこうして「短期的価値(株主経営価値)」ではなく「長期的価値」を重視して生き延びてきました。
長寿企業の家訓をご紹介
以下に、例として長寿企業の家訓を紹介します。
- 伝来の家業を守り決して投機事業を企つる勿れ。物価の高下に拘わらず善良なる物品を仕入れ誠実親切を旨とし利を貪らずして顧客に接すべし。 -伊藤松坂屋 家訓(参考:旧株式会社松坂屋の家訓 ※現在は株式会社大丸松坂屋百貨店)
- 先義後利(荀子)。-大文字屋下村彦右衛門 (参考:旧株式会社大丸の創業者 ※現在は株式会社大丸松坂屋百貨店)
- 苟も浮利に趨り軽進すべからず。我が営業は信用を重んじ,確実を旨とし,以て一家の鞏固隆盛を期す。 -住友家家則(参考:住友グループの創業家である住友家の家則)
- 徳義は本なり,財は末なり,本末を忘るる勿かれ。-茂木家家憲(参考:株式会社キッコーマンの創業家である茂木家の家訓、不文律の1つ)
- 売りて悦び,買いて悦ぶ。-三井殊法(参考:三井家の家祖、三井高利の母)
- 三方よし-売りてよし,買いてよし,世間よし。-近江商人(参考:近江商人 – Wikipedia)
- 確実なる品を廉価に販売し,自他の利益を図るべし正札掛値なし。商品の良否は,明らかに是を顧客に告げ,一点の虚偽あるべからず。顧客の待遇を平等にし,苟も貧富貴賎に依りて差等を附すべからず。-たかしまや四つの綱領(参考:株式会社高島屋の店是)
- 真の商人は先も立ち,我も立つことを思うなり。我が身を養わるる売先を疎末にせずして真実にすれば,十が八つは,売り先の心に合う者なり.売先の心に合うように商売に情を入れ勤めれば,渡世に何ぞ案ずること有るべき。 -石田梅岩(参考:石田梅岩の思想と名言|都鄙問答という商人道の教えを解説)
実はマネジメントの父、ピーター・ドラッカーも「イノベーションのための17か条」の中で同様のことを述べていますので次号で紹介します。
我が国最古、1400年以上続く現存企業の社訓とは?
最後に我が国最古で1400年続いている現存企業株式会社金剛組(本社:大阪)の社訓を紹介しますので参考にしてください。
- 儒教・仏教・神明の三教の考えを、よく考え、心得よ
- 読書・そろばんの稽古をせよ
- 世間の人々と交際しても決して出すぎるな
- 大酒は慎め
- 身分以上の華美な服装はするな
- 人を敬い、穏やかな言葉遣いをせよ。但ししゃべりすぎるな
- 目下の人には深い情けをかけ、穏やかな言葉で召し使え
- 何事も他人と争うな
要約すれば、本業重視、分相応、修行励行ということですが、1400年も続いたということは業種が宮大工というニッチな仕事で特殊な技術を必要とし、大会社はコストが合わず手を出さないこと、顧客が社寺という永続性のあるクライアントであることなどがあると思います。(続く)
国内大手鉄鋼企業の製造部門で生産管理・品質管理を経験後、エンジニアリング部門でニューヨークに駐在し米国への鉄鋼技術販売に携わる。その後ドイツ大手貴金属精錬企業に転じ、副社長としてベルギー研究所副所長および東アジア地区支配人を兼務、中国、台湾、韓国、日本の支社長として会社設立・業務拡大に成功。その間、京大、阪大、中国東北大にて後進を育成。現在、地プロ事業統括者、デジ田地域DXプロデューサー、混声合唱団スティールエコー常任指揮、中国東北大名誉教授。