読みにくい名前ですみません
和歌山大学産学連携イノベーションセンターの似内映之です。“にたない えいじ”と読みます。名刺交換をすると多くの方から“どちらの出身ですか?”と質問をされます。はい、北海道札幌市の出身です。岩手県花巻市に似内という名前の土地がありますが、そこが自分のルーツかどうかはわかりません。ちなみにパソコンで“にたない”と入力して変換すると一発で“似内”と出てきます。
JR釜石線にある似内駅の駅名板
和歌山大学の教員になるまで
札幌市内の高校を卒業後、大学は室蘭工業大学工学部第二部電気工学科(当時)に進学しました。“第二部”とは5年制の夜間のことです。
3年生の時に大学の紹介で技術補佐員(パートタイムの技官)として他の学科の研究室でアルバイトをすることになりました。学生実験の指導をしたり、卒業研究のサポートで実験装置の作製をしたり、そして夕方から講義を受けたりで大変でしたが楽しい日々でした。そして研究者という職業に興味を持ち始めたのはこのころからだったと思います。
その後、博士後期課程を4年かけて修了しました。当初は企業の研究者を希望していたのですが、ほとんどの企業は面接どころか書類さえ受け取ってもらえず、恩師からの勧めで学会誌の募集欄に掲載されていた和歌山大学システム工学部光メカトロニクス学科(当時)の教員公募に応募し、平成10(1998)年4月に助手として採用されました。
情報処理、物理、電気電子分野の授業を担当しながら「光物性」を研究
卒業研究に取り組む学生と同じ部屋に机を置き、授業としては情報処理の基礎や主に物理や電気電子分野の学生実験や演習授業を担当しました。
また研究としては屈折率などの光に対する物質の性質(これを光物性といいます)をどうしたらより正確に測定することができるかを考えたり、その光物性の変化をうまく利用してひょっとしたら将来使えるかもしれない新しい光記録材料を開発したりを研究テーマに、自身も研究に取り組みつつ卒業研究の指導をしました。
学生を指導することは自らが手を動かすこととは大きく異なり、当初から苦労したことをよく覚えています。
産学連携イノベーションセンター 副センター長として
平成25(2013)年4月、学科からの指示ということで、産学連携イノベーションセンター(当時は産学連携・研究支援センター)の専任教員に異動になりました。これまでに共同研究などに関わったことはほとんどなく、産学連携に関する知識はほとんどないままの異動だったので、当初は戸惑いましたが、今では大学という立場から企業のみなさんの課題解決のお手伝いができるこの仕事は、若いころ、企業の研究者を目指していた私にとって天職だと思っています。
大学における産学連携を企業の営業活動に例える人もいます。研究者が企業から研究費を獲得する対価として、自身のもつ知識や技術を企業に提供するという意味では確かにそうかもしれません。
専任教員は研究者と企業の間にはいって共同研究などをコーディネートをしたり、研究者情報を紹介するという一般的な産学連携業務にも関わりますが、国などの施策情報を収集したり、全国の大学にいる専任教員と情報交換をしたり、和歌山大学における産学連携活動推進の方針を検討したりもします。以前所属していた学部の学生の卒業研究の指導にも引き続き取り組んでいます。
また令和2(2020)年4月からはURA室の室長を兼務しています。URAとはUniversity Research Administrator の略で、大学の研究者の研究について、研究資金を獲得する前の企画段階から、知的財産権の取得や研究成果を実用化するまでの研究活動全般にサポートするとともに、大学内に新しい研究グループを立ち上げ、より大型の研究資金の獲得をコーディネートする重要な役割を担っています。
次回以降は、和歌山大学における産学連携の成功事例や制度の紹介、どのようにして「産」と「学」がつながるかなどについてご紹介していきます。
和歌山大学産学連携イノベーションセンター 副センター長 似内 映之 氏
和歌山県内唯一の国立大学法人和歌山大学の中に設置された、主に学内研究者の研究情報の発信と外部資金獲得を業務とする組織の副センター長として、産学連携の推進に取り組んでいます。
和歌山県内唯一の国立大学法人和歌山大学の中に設置された、主に学内研究者の研究情報の発信と外部資金獲得を業務とする組織です。最新のお知らせなどは産学連携イノベーションセンターのWebページをご覧ください。https://www.wakayama-u.ac.jp/cijr/