「みかん専業で食べていく」
秋竹会長は和歌山県の有田市出身。みかん農家に生まれ、高校卒業後に家業を継いだ。当時、みかん農家は「安泰」と言われていたそうだが、ほどなくして全国的なみかんブームが到来。みかんの生産量が爆発的に増え、供給過多でみかんの市場価格が大暴落してしまった1970年頃のことだという。
全国のみかんの生産量が350万t(現在の約5倍)を超える頃には、みかん農家は専業では食べていけない風潮が広がり、秋竹会長の周囲のみかん農家も兼業農家が増え、農家そのものをやめるところも多かったそうだ。
そんな時代に、7戸のみかん農家が結集して同社の前身である早和共撰を創業した。その背景には、「みかん専業で食べていく」というゆずれない想いがあったと秋竹会長は言う。
「周囲のみかん農家は、自分の子供達に『みかんはもうあかん』と伝えていました。しかし、私は絶対に自分の子供たちにそうは言いたくない、言わないと心に決めていました」
そこから、秋竹会長の次代につなぐための新たなみかん農家になる挑戦がはじまった。
ハウスみかんづくり
早和共撰の代表となった秋竹会長は、当時市場に出はじめたハウスみかんにいち早く注目した。『これからの時代は天候に大きな影響を受ける露地栽培だけではいけない』と考えてのことだった。
「ハウスでつくられる夏の贈答用のみかんは美味しく、冬のみかんとは比べ物にならないくらい価格が高い。しかし、ハウスみかんの生産には生産設備が必要で、膨大な費用がかかり、そのうえ管理も難しい。だから、多くの人が失敗していたようです」
と秋竹会長は話すが、早和共撰は安定的な栽培に成功している。その成功の秘訣を伺うと、「勉強」と一言。続けて、県外の先駆者を訪ねて栽培方法を学び、試験場に何度も足を運び、とにかくさまざまな文献を読み漁ったことを教えてくれた。
そうした地道な努力でみかんの生態を知り尽くし、ハウスの中でみかんにとっての最高の気象条件を作りだすことで、最高に美味しい有田みかんをつくりだしたのだ。
事業承継のための法人化
ハウスみかんの生産が無事に早和共撰の安定部門となった頃、同社は新たなフェーズを迎えた。きっかけはJAから大型共撰に入らないかと声をかけられたことだ。
秋竹会長は悩み、未来を担うのは子供たちだと、そのときすでに後継者になろうとしていた7戸の農家の息子達に意見を聞いた。すると、「親父らのように、自分達でつくったものを自分達で売りたい」という答えが返ってきたという。
その言葉を聞いた秋竹会長は覚悟を決め、2000年に法人化。有限会社早和果樹園を設立した。当時秋竹会長55歳、事業承継を見据えた遅咲きの社長デビューだった。
「常識外れ」と言われたジュース
その頃、農業の法人化は全国的にもめずらしかった。世間から一躍注目を浴びた同社は、国・県・市からの支援を得て選果場を建設。また公益財団法人わかやま産業振興財団の「中小企業わかやま元気ファンド」の補助金も活用し、光センサー選果機を導入した。
そして、その光センサー選果機で、有田みかんを糖度12度以上で選りすぐり、特殊な手法で丁寧に搾ったジュースを作った。そのジュースこそが現在も販売を続ける『味一しぼり』だ。
『味一しぼり』を試飲した一流ホテルのシェフは、「こんなに美味しいジュースはまだ日本のどこにもない」と大絶賛。
手応えを感じた秋竹会長は、シェフに提案された価格をそのまま販売価格に決定。それが当時としては異例の720ml1200円(税抜)の高級ジュースとなった。
無事に百貨店や県内大手のスーパーでの取り扱いが決まり、順調な滑り出しだった。ところが、いざ販売が始まると決して売れ行きは良くなかったという。
秋竹会長は、社員とともに県内のスーパーで試飲販売を開始するが、販売数よりも試飲で開ける本数が多い日が続いた。試飲したお客様に「美味しい」と喜ばれる一方で、値段に驚かれ、「ちょっと常識外れじゃないの」と言われることもあったそうだ。
それでも、秋竹会長らは「自分達の作ったジュースでお客様ひとりひとりと向き合い続ける」と意思を固め、互いを励まし合いながら試飲販売を続けた。
そしてついに、高速道路サービスエリアでの出張販売で転機が訪れる。そこでは、高い『味一しぼり』が飛ぶように売れたのだ。
展示会で販路を急拡大
土産物市場に活路を見出した同社は、大型土産物店での販売を開始するとともに、展示会出展に注力。その戦略が功を奏して販路の急拡大に成功した。
同社は今でも、わかやま産業振興財団の「わかやま産品商談会in和歌山」に毎年出展している。
その理由を伺うと、秋竹会長は「営業方法がわからなくても、展示会はバイヤーが向こうから来てくれる。こんなにありがたいことはない」と顔をほころばせる。
会社と想いを引き継いで
続いて、代表職を引き継いだ秋竹俊伸社長にお話を伺った。
2017 年の就任後、秋竹社長はまず社内の組織体制の改革に乗り出した。トップダウンではなくボトムアップ型で社内の調和をはかり、全社一丸となって成長路線を探るというものだ。
また「6次化※の拡大」を掲げ、生産、加工、販売全てに注力する中で、ブランドロゴや既存商品のパッケージを刷新し、社員の育成や新規採用にも力を入れた。
さらには、同年7月に直営ショップ「早和果樹園本社店」に続き、白浜町の「とれとれ市場」に念願の2号店をオープン。同社自慢の商品がズラリと並んだ店頭で社員と共にお客様を迎えた。
秋竹社長は「これからも和歌山から美味しい有田みかんを世界中に届け続けたい」と意気込みを語った。
※みかんの6次化(6次産業化)とは?
6次産業化とは、農業を1次産業としてだけではなく、加⼯などの2次産業、さらにはサービスや販売などの3次産業まで含め、1次から3次まで⼀体化した産業として農業の可能性を広げようとするものである。
出典︓「⽂部科学省検定済教科書(⾼等学校農業科⽤) 農業経営」(実教出版)※平成26年度から使⽤
引用元:農林水産省公式サイト農林漁業の6次産業化「6次産業化とは(PDF : 187KB)」起業をめざす人へ
「停滞しない。後ろ向きにならない。人生と同じで、前を向いて進めば面白い」
秋竹会長に起業を目指す人へのメッセージを伺った。
「法人化を勧めます。家族や友人とやっていると、どうしても甘えや緩みが出てきてしまいます。当社は法人化でみんなの覚悟が決まり、どんどん良い方向に進みました。それがなかったら絶対に今の形にはなっていないでしょう。人生と同じで、前を向いて進んだら面白いです。止まっていてはだめ。後ろを向いてもだめ。前を向いて新しい方へ進んでください」
秋竹会長の創業以来の変わらない想い。その想いとビジョンはこれからも次代に引き継がれていく。
秋竹 新吾 氏 プロフィール
1944年和歌山県有田市出身。県立吉備高校(現有田中央高校)柑橘園芸科を卒業後、実家の果樹園を継承して就農。1979年、7戸のみかん農家が集まり早和共撰を創業。2000年に法人化。2005年に株式会社早和果樹園へと改組して現職
2014年、6次産業化優良事例で農林水産大臣賞を受賞。2017年、代表取締役会長に就任。旭日単光章受章。2020年に著書「日本のおいしいみかんの秘密」を出版
秋竹 俊伸 氏 プロフィール
和歌山県有田市出身。実家のみかん農家に就農後、出荷組合の法人化に伴い2000年に同社に入社。総務部長、取締役専務を経て2017年に同社社長に就任。就任後は若手を主体とした全員経営の組織づくりと、地域と共に繁栄する企業づくりを目指す。認定農業者、同志社大学MBA。
会社名 | 株式会社早和果樹園 |
---|---|
所在地 | 〒649-0434 和歌山県有田市宮原町新町275番地1 |
創業 | 1979年 |
設立 | 2000年 |
TEL | 0737-88-7279 |
URL | https://www.sowakajuen.co.jp/ |
業種 | 農産物の委託販売 農業コンサルティング |
従業員数 | 約90名(役員・常勤パート・子会社含む)※令和4年1月現在 |
同社が活用した「わかやま中小企業元気ファンド」の詳細はこちら、「わかやま産品商談会in和歌山」の詳細はこちら
※この記事は、2022年8月31日発行「わかやま産業通信14号」に掲載した内容を転載し、web用に改修したものです。
「知る」のアップデートは一記事から。みなさんのビジネスを成長させる『知恵』を随時お届けします!